気まぐれ日記 2018年11月
2018年10月はここ
11月1日(木)「ロード1/3出発前日・・・の風さん」
昨夜から今朝にかけて悪寒戦慄はなかった。明日から11月のロード1/3(3回あって、そのうちの1回目という意味)に出発するので、今日はやれるだけのことをやっておかねばならない。
昨夜、今日の雑務の半分をやっておいたので、ルーチンは早めに終了した。
先ずは、旅行の準備である。キャメロンで行くので、荷物はいくら多くてもかまわないが、そうは言っても程度問題だ。持って行く物を次々にキャリーバッグに詰めたり、別に袋に入れたりした。スピーディーにやっているように書いたが、ボケ老人はミスがないように慎重にやっている。当然、時間はかかっている。
早、昼食の時間になってしまった。トーストで軽く済ませた。気分転換に散歩がてら、葉書を1通投函しに行った。まあまあの天気で、陽だまりで猫が寝そべっていた。
荷物の次は服装だ。明日は講演なのでスーツを用意した。翌日と翌々日はプライベートになるから私服。
次は、講演の準備の仕上げだ。執筆マシンで作成した講演スライドを、MacBookAirに入れて、見栄えを確認しながら微調整した。動画もやるので、念入りにチェックした。
さあ、いよいよ執筆の続き、と思ったところで、トラブル発生。昨日は執筆マシンのトラブルだったが、今日は二階のトイレのシャワーのトラブルだ。再発に近い。停止ボタンを押しても、水がしたたり落ちる。元栓を閉めれば当然漏水も止まるが、それでは解決とは言えない。そこで、またシャワートイレの分解チェックである(笑)。昔、福島の両親の家に泊まっていて、今日は講演という朝、水洗トイレが詰まった。水を流すとあふれてパニックになった。とんでもない状態だったが、掃除までしかできなかった。講演後、ホームセンターに寄ってスッポンを買って帰った。それでどうやら詰まりは直ったようだった。あの時よりも、はるかにマシ。なぜなら、講演は今日ではなく明日だから。さて、シャワートイレを分解してみると、予想に反して、パイプ配属関係の問題ではなかった。シャワーノズルそのものから漏水していた。これでは手が出せない。元に戻し、とりあえず元栓を併用してしのぐことにした。来週以降、自分で新品と交換することになりそうだ(たぶん)。
午後5時、やっと執筆の続きをすることになった。こんなに遅くなるなんて……。
十分執筆ができないまま、どんどん夜は更けて行く。とりあえず、連載小説のための資料調査を予定していたので、それもすることにした。締め切りが迫っている。しかし、分量が多く、半分でストップ。
どうやらロード1/3に持って行く荷物は増えそうだ。
11月2日(金)「「command+Q」・・・の風さん」
昨夜就寝までに仕事が終わらなかったので、出発の今朝は気分は低調。1か月前のTDL行きとはだいぶ違う。
とは言え、今日はロングドライブになるので、粛々と出発の準備だ。
予定より10分早く出発できた。約1時間と20分でいつもの中継地点「浜松SA」でホットタイム。うなぎエクレアで気合を入れる。
その後も順調に走って、正午には藤枝市内に入った。
約束の1時に藤枝東高校の正門から入ると、担当の先生が待ち構えていてくれた。下見に来ていて良かった。古い町並みの中にある伝統校だそうで、とても分かりにくい位置とのこと。確かにそうだった。
講演前の準備で初めてのトラブルに遭遇した。愛用のMacBook Airを立ち上げると、OSのインストールの途中画面になるのだ。昨夜システム終了した時点で知らない間に新バージョンのインストールの途中だったのかもしれない。とは言え、トラブルというのは、この途中画面からデスクトップに戻れないのである。結局PCに詳しい先生に助けていただいた。「command+Q」でアプリを停止させてくれたのだ。次に、もう一つ困ったことがあった。埋め込んだ動画を再生できなかったのだ。これは講演途中に起きたことで、仕方なく、デスクトップの動画ファイルを立ち上げてしのいだ。
聴講してくれたのは、全学年の生徒で教職員含めて800人近かった。人数が多いのは嬉しいが、高校生や中学生に話をするのは大変難しい。今回は江戸の数学文化「和算」がタイトルではあるが、自分自身の生き方をその中に入れて、学ぶ楽しさ、生きる意義みたいなものを伝えようと頑張った。
今回ありがたかったのは、講演後に、一部の生徒たちと懇談する場を設けてくれたことだ。ここで、講演では伝えられなかった話を、質問に応じて話すことができた。予定の5時を少し過ぎてしまったが、仕方ない。
自宅から高校までは150キロ以上あった。今度は250キロ以上走って、次の目的地に行くのである。
東名から首都高へはいきなり入らず、一度環八へ降りて、セルフ給油した。これは8月の経験の反映である。
とんでもないタフさだと思われるかもしれないが、肉体的には限界に近かったようだ。ホテルに着いたのが10時で、就寝する午前零時頃にはへろへろ状態だった。常に全力投球がモットーだが、年寄りの冷や水とも言える。どこかで自分自身の「command+Q」が必要だ。
11月3日(土)「迫力の流鏑馬・・・の風さん」
昨夜は疲労回復のつもりで缶チューハイを飲んだのだが、失敗だった。体はぐったりしているのに、頭の中だけハイになって、おまけに酔いがどんどん回ってきてまともに歩けない。これでは仕事どころでなかった。
午前零時過ぎに寝たが、熟睡できないまま、今朝を迎えた。セットした目覚ましよりも早く起きた。カーテンを開けると、雲ひとつない青空だった。体調は不安だが、きっと良い日になるだろう。
笠間の目的地まで約50キロ、約1時間である。朝食も摂って(リポDも飲んで)余裕しゃくしゃくで笠間へ向けて出発した。
ところが、今日は「流鏑馬(やぶさめ)」という特別イベントがあるため、友部インターの手前から大渋滞だった。そこで直前のSAにあるETC出口を利用して一般道へ出た。これはなかなかの好判断だったのだが、そこからナビが案内する道が初めてで、見知らぬ田舎道が続いた。でも、何とか間に合った。
ひと休憩した後、知人の運転する車で出発し、途中で教育長をピックアップし、友部駅で東大の相澤先生を予定時刻にピックアップすることができた。相澤先生は、小野友五郎から5代目の子孫に当たる方だ。
昼食後、笠間稲荷神社の小野友五郎の写真と天球儀を見学し、笠間小学校(元藩校時習館があった場所)前の道路で行われる奉納神事「流鏑馬」を見学した。すごいリアルさで迫力があった。なかなか連続する3つの的に当たらないのだ。皆中(パーフェクト)は1回しか見られなかった。私にとって、これは単に初見学ということより、時代考証という点でも大いに勉強になった。大収穫である。
その後、4月にオープンしたばかりの歴史館を見学し、さらに笠間城跡を見学し、最後は知人宅で歓談したが、ITとビジネスの話がたくさん出て、多少は分かる私でもついていけないレベルになり、ちょっと落ち込んだ。
1時間帰りの電車を遅らせた先生を友部駅までお送りして、今日のスケジュールは無事に終了した。
小野友五郎顕彰活動に、相澤先生のお力を借りたらどうかという思いもあって企画したのだが、その可能性が大いに高まった。
笠間の常宿にチェックインしたら、フロントマンが私を覚えていてくれて嬉しかった。
11月4日(日)「20万キロ超え・・・の風さん」
昨夜はアルコールはやめて就寝したので、今朝は普通に起床できた。予約した8時に朝食を摂りに行った。大きなガラス窓から見える木々の何本かが折れていた。台風のせいだ。そんな悲惨な風景はともかく、ここの朝食は抜群に美味い。たとえばオムレツ。何の変哲もないオムレツに見えるが美味い。卵が上質なだけでなく、何か隠し味が入っているのかも。キャベツの千切りも同じだ。驚くべき美味さ。
9時に次の目的地へ向かって出発した。まだ家路にはつけない。
今年3回目の(栃木県)佐野市郷土博物館へやって来た。「天明鋳物師展」が開催中で、学芸員の方が、しっかり説明してくれた。鋳造技術は、私が専攻した機械工学の中の一技術だし、会社で長年生産技術者として働いたから経験もある。今回の展示見学は、その鋳造技術の江戸時代の文化を知るのが目的だった。一つ紹介すると、大きな大仏などは、地元の鋳物師だけでは作れない。あちこちから多くの鋳物師がやってくる。「出吹き」という。鋳物師は朝廷の権威付けされた人たちだ。村のお寺の梵鐘を鋳造するときも同様である。梵鐘ができることを赤ん坊の誕生になぞらえて、取り上げ婆さん役の女性が立ち会う風俗も初めて知った。
正午前で見学を終え、ようやく家路についた。インターの手前で、金曜日に環八で入れたセルフのスタンドを同じ会社が運営するGSに寄って、満タン給油した。金曜日に給油したとき入手した割引き券が使えるのだ。何と、1リッター146円で給油できた。
今日の帰り道の途中でキャメロンの走行距離が20万キロを超えることが分かっていた。しかし、東北道のSAでピッタリ20万キロなんてことはない。結局、蓮田SAで記念写真を撮ったが、200010キロだった(笑)。
首都高の出口付近で意味不明の大渋滞だった。事故でも工事でもなかった。人が二人いて、2車線を1車線にしぼっていただけ! アホとした考えられない。
東名に入って、また快調に走り出したが、新東名に入る前に、雨と渋滞の告知があった。どこから来た雨雲だ?
悪天候や渋滞は嫌いだが、無事に帰れればOKである。
午後8時20分ころ帰宅できた。3日間で千キロ走ったが、往路の金曜日の夜ほどの疲労感はない。キャメロンは愛車と呼ぶにふさわしいモンスターだぜ。
今日はこれで閉店になるはずだったが、午後10時ころに異変が起きた。ちび助が突然不調になったのだ。ワイフが色々と心当たりを思い出し、念のため、スマホで検索してみたら、とんでもないことが分かった。2日(金)にもらった百合の花を花瓶に活けたそうだが、いつものようにちび助に水を狙われた。飲まれるだけでなく、花瓶を倒してしまうので、いつもは警戒して、花瓶は避難させておくのだが、今回は、何度も水を飲まれたという。百合は猫にとって猛毒だった。以前、水仙でちび助がいきなり吐くという事件があったが、百合はそれをはるかに上回る猛毒だった。
結局、私は普通に就寝したが、ワイフは、徹夜でちび助の看病をすることになってしまった。
11月5日(月)「頑張れちび助・・・の風さん」
いつも通りに起きて階下へ行くと、ちび助がぐったりしていた。付き添っていたワイフが「危ない」というので、以前、ペコにゃんがお世話になった総合病院のような犬猫病院へ直行した。診察室が5つか6つあり、検査設備もそろっている専門病院である。
新患だったが、百合の話をワイフがしたので、ペコの主治医だった先生が、すぐに診てくれた。
百合の毒にやられると、猫は腎不全になり、神経も冒され、普通は死に至るという。神経はなるほどと思った。昨夜、ちび助の状態が急変したのだが、首が曲がってまっすぐ歩けなくなったのだ。一方、超音波で調べると、腎臓は深刻だった。今回の毒のせいではなく、既往症が発見された。何と、片方は縮んでいてほとんど機能していないらしい。残りの腎臓も、内部に大きな結石があった。この片方だけが、ちび助の生命線なのだ。血液検査の結果、百合の毒にやられていることは明らかになり、早速、入院となったのだが、ケージに入れられたちび助と最後の対面のような感じになり、こちらはショックで落ち込んだ。
とりあえず帰宅したものの、急な電話連絡がいつ入るかと、不安でならなかった。
とは言え、また水曜日から出かける私には、やらなければならないことがあった。長編の原稿の中間報告である。事前に送る約束をしていた。
結局、夜になっても電話連絡はなかったのだが、私はフラフラになりながら執筆を続け、午前3時近くに、とりあえずの中間原稿をメール添付で送った。それから入浴して寝たのだが、明日は、ちび助の様子を見に行かねばならない。何とか、生き延びていてほしい。
11月6日(火)「一難去ってまた一難?・・・の風さん」
今朝まで緊急電話が来なかった。何となく望みがあるような気がして来た。
犬猫病院までは、猫を乗せている時は有料道路で行くが(もちろんキャメロンでなくアクアで)、ワイフと二人だけなら一般道である。しかし今朝は、時間的余裕もなく、また早くちび助の様子を確認したかったので、有料道路で行った。
面会とは言え、いちおう午前10時で予約してあったのだが、なかなか順番が回ってこなかった。
昨日と同じ集中治療室のケージの中にいた。昨日の主治医は今日はお休みなので、別の先生だったが、今朝の血液検査の結果はいくらか改善されているとのことだった。それから、視神経をやられていて、視線がふらついていたのが、これもいくらか治ってきているとのことだった。少しホッとしてちび助を見てみると、普段の、素知らぬ態度をとりながら、ちゃんとこっちを認識して、尻尾を振るという、こにくらしい態度になっていた! 明らかに昨日よりも元気になっていた。嬉しかった。峠を越したのだ。ワイフも安心したようだ。ちび助はよく頑張ったのだ。隣のケージに犬が入っていて吠えまくっていてうるさかったが、今日中にちび助は一般病棟に移せるだろうとのことだった。ますます安心。
ようやく気持ちのゆとりも出てきたので、帰りに、私は銀行のATMに、ワイフは書店に寄った。
帰宅し、私はたまっている雑務に取り組んだが、ワイフは、実家へ出かけた。当初の予定では、今日は朝から実家行きだったのだが、ちび助のことがあったので、午後から合流ということになったのだ。
私は激しくたまっている雑務を少しずつ片付けて行った。
夕方、長女も名古屋から犬猫病院へ直行し、ちび助の様子を確認しに行った。実家から帰って来たワイフも、病院で合流し、長女を最寄りの駅まで送って、あとは帰宅するだけ、ということになったのだが、ここで、恐ろしいトラブルが発生した。
ワイフから書斎の私に電話があった。何と、「パンクして動けない」というのである。げげ〜! 運悪く近くにガソリンスタンドもないという。私は明日から出かけるので、ワイフのクルマはちゃんと使える状態でなければならない。時計を見ると、午後8時だ。
私は雑務を中断し、ワイフの救出に向かった。
利用者もない駐車場でワイフが待っていて、私はキャメロンのヘッドライトが当たる向きで停車し、作業を開始した。持参の新品の軍手をはめる。先ず、アクアにスペアタイヤが載っているか確認。あった! 工具一式もありそうだったが、ジャッキが見つからなかった。なので、キャメロンから出した。パンクは左前輪だったので、右後輪の後ろにタイヤ止めをセットし、ジャッキで少しずつ上げながら、ボルトをゆるめた。この作業は、大学生時代に死ぬほどやっているので、身体がすべて覚えている。文章を書くのが面倒なので、あっという間に終わった、としておこう。
帰宅したら、ワイフが二人分の弁当を用意した。夕食用だが、実家のお母さんが持たせてくれたのだそうだ。ああ、母親というのは本当にありがたい存在だ。
弁当の後は、今日の夕方できなかったホットタイムにした。
しかし、人生はハプニングの連続だ。
明日から、3泊4日の長いワラジをはくことになる。
11月7日(水)「セミナー前泊を利用して打ち合わせ・・・の風さん」
チビ助の急病対応とアクアのパンク対応という2つのトラブル対応があっても、情け容赦なく今月のロード2がやって来た。
セミナーの準備は昨夜のうちにしておいたが、他のことがほとんどできなかったが仕方ない。
ワイフに駅まで送ってもらい、ワイフはその足で、パンク修理に出かけた。
ところが、私がまだ名古屋への途中に、メールが入った。恐れていたことが判明した。パンクは側面が切れていて、修理不能とのことだった。原因は不明。新品タイヤと交換するしかない。アルミホイールの変形が不安として残った。
寝不足で少々頭痛がする中、新幹線に乗車した。とても仕事をする気にならなかったが、そんな甘っちょろいことは言ってられない。セミナーの講義スライドを昨夜に続いて、レビューだけはしておいた。車中で昼食を終えて、東京着。
明日のセミナーが終ると東北新幹線で郡山へ向かうので、指定券を購入しておいた。
久しぶりに神田の古書店を巡った。欲しい本がたくさん見つかったが、我慢して、厳選した本だけを購入した。
三省堂書店で長谷さんと合流し、お勧めの喫茶店に連れて行ってもらった。なかなかよい雰囲気の店だった。
某社との打ち合わせが次にあるのだが、そこまで長谷さんに案内してもらった。
某社というのは、現在取り組み中の長編小説なのだが、自分の考えていたスケジュールから大幅に遅れていたので、オファーを取り下げられるのではないかと心配していた。必死に途中状況を提示しながらやってきたおかげか、年末まで頑張ってくださいという結論になった。ありがたい。物語の展開についても、たくさんアドバイスをもらったので、それらは全て私の課題になる。克服すれば、絶対に良い作品になると思うので、やはり頑張るしかない。
セミナー会場へのアクセスを考慮して、今回はかつての定宿を確保してあった。そこはべらぼうに低料金だったのだが、東京オリンピックが近付いているせいだろう、普通は利用しないレベルに上昇していた。でも、セミナー会社から前泊費用は出るので、清水の舞台から飛び降りたつもりで予約したのだ。
今夜は時間があったので、取材先のガイドブックに部屋で目を通した。どれだけ見て回れるか、現地に行くまで分からない。
留守宅からの連絡で、チビ助がさらに元気になっていて、食欲が出てきたそうだ。退院も近いとのこと。よかった、よかった。
11月8日(木)「郡山駅の思い出・・・の風さん」
寝酒は厳禁ということで(笑)、昨夜は普通に就寝したのが良かったのだろう、早起きできた。
セミナー会場にも余裕で到着。先週の講演の時のようなPCトラブルもなし。講義スライドには事前に2回目を通してあったので、比較的スムーズに進めることもできた。午後からは受講生に3つの簡単な演習をやってもらい、終わりには受講生同士の情報交換もしてもらい、私のできることは全てやった感じ。しかし、ビジネスの世界というのは、ベストを尽くしたから良い結果が出ると決まってはいない。小説も同じで、100人が読んで、100人とも同じ感想ということはない。少しでも多くの人に満足感を与えられるように努力するしかない。100%はないのだ。そうでなければ、一部の批判に落ち込んでしまうだけだ。
そういう意味で、今日は、セミナーの途中や終わってからも質問をしてくれる人がいて、これはとても嬉しかった。一人一人の異なった要求に対応することは、満足してくれる人が増えることを意味する。そして、彼らの質問は、私にとってとても勉強になる。ありがたい。
帰る方向が同じ受講生がいた。上野駅まで一緒に行き、喫茶店でさらに意見交換できた。今後、何かあったらいつでもメールしてもらい、回答することを約束した。
それから東北新幹線で郡山へ行った。駅前のホテルにチェックインした。天気予報通り、小雨がぱらついていて、少し肌寒い。秋の気配が濃厚である。会津はさらに冷え込むかも。
部屋の窓から郡山駅が見える。大学生の頃に母の車で何度も兄を訪ねた郡山である。それからも郡山との縁はずっと続いていて、思い出が多い。しかし、最後の郡山駅の記憶は、措置入院させた母と別れて、家路についた時である。駅の中にあるコーヒーショップのコーヒーが苦かった。なるべく思い出さないように、コーヒーショップにも近付かなかった。
11月9日(金)「塩辛は母の味・・・の風さん」
初めてのホテルでちょっと落ち着かなかったが、睡眠はしっかりとれた。朝食はバイキングの発展系で、無料だ(実は、今夜のホテルも同じ)。LCC(Low Cost Carrier)のようにどんどん標準化・合理化した方がかえってコストが下がり、利益も出るのだろう。逆に、顧客もそういったホテルを選んでしまうことになるのだろう。かつてMBAの勉強をした経験から、こういった変化は自分で勝手に理解してしまう。多分当たっていると思うのだが。
ネット予約してあった駅レンタカーの営業所が移動していた。質問したら9月に移動したとのこと。さらに、ネット予約時、割安プランがあり、軽より安いヴィッツだったのだが、提供された車はフィットだった。しかも仙台ナンバー。ここで乗り捨てられたのか。とにかく安ければ、軽トラだろうが、マニュアル車だろうが、OKの人なので、全く気にしない。
福島県に土地勘のある私だが、記憶は全て古い。ナビをセットして出発。それでも郡山駅前を脱出するくらいなら、ナビは不要だ(笑)。
取材目的地は会津若松である。やがてよく通った道路に出た。かつて何度も行ったフラミンゴのいるレストランがまだ健在だった。しかし、思い出が深いだけに、亡くなった母の思い出が蘇り、胸がつまる。今日はそういった経験を何度もすることになるだろう。東北道から磐越道を走る。磐梯山SAで小休憩しつつ、ショップで目的地の名物の下見をしておく(^_^)。
鶴ヶ城を目的地にしたので、また母と来た日の思い出が蘇った。実は、母の思い出が蘇ることは、今回の取材には良いことなのだ。なぜなら、編集者から今回の仕事の提案があったとき、真っ先に語ったのが、母との思い出だった。編集者が即同意してくれたことには、何か運命的なものを感じる。今回の作品は、書かなければならない作品なのだろう。
自分の足で歩き回る前に、重要なスポットの位置を確認しておこうと、フィットで市内を走ってみた。不思議なことに鶴ヶ城以外、それらが見つからない。マイナーなスポット過ぎるのだろうか。それでも、日新館の天文台跡は見つけた。母を連れて行った場所だ。それで決心した。復元日新館に行こう、と。
復元日新館へは、かつて家族がそろって出かけている。私は多忙で、実家で留守番をしていた。だから初めて。ナビの指示通りに走ったら、たどり着かなかった。これはナビの位置情報が悪いのだ。実際の目的地の真裏のポイントに案内されたため、入り口が分からないのである。大きく迂回して入り口にたどり着いた。
実際の幕末の日新館については、猛烈に勉強してかなり知っている。それとの違いを発見するのが目的ではない。資料から得られない実物感というか、印象が重要なのである。先ずは、大きさである。東西180m、南北90mというのは、すごい迫力である。会津若松市内の元の位置に復元してくれたら、もっと多くの人の目に触れて、会津藩の教育の凄みを実感できるだろう。内部もハンパではない。絵図では分からない建物の造作を詳細に見学できて大収穫である。また、展示してある本物の資料もありがたい。想像していたものとの大きさの違いや質感が重要な情報になる。
熱心に見学したため、午後1時になってしまった。仕方なく観光客向けのレストランで、ウィークデーの唯一メニューしょうゆラーメンを食べた。ところが、喜多方ラーメンだったので、美味かった(今回食べる予定ではなかったが)。
ホテルに車をとめて足で回ることにした。
今日の主目的は、主人公の屋敷(架空ではあるが)の周辺の土地勘を醸成することだ。そのため、作品に出てくるスポットを確認して距離感を把握する。詳細な説明は省略するが、許して欲しい。先ず、興徳寺へ行った。蒲生氏郷の墓がある。そこから諏方神社へ向った。想像していたより遠い。諏方神社は、『会津風土記』で詳しく知っている。驚くことに拝殿の背後に御射山が残っていた。これを御射山だと知っている人はあまりいないだろう。現地に立っても、ただの小山にしか見えない。過去と現在の違いをチェックしてから、いよいよ主人公の屋敷との距離感をつかもうとした。ところが、城下町は焼失した後、区画が変化したようで、肝心の通りがないのだ。しかし、このあたりだろうというポイントを、何度も何度も歩きまわって特定した。そこから、天文台跡までがまた厄介だったのだが、足を棒にして歩き回って、結構離れていることが分かった。そろそろ夕闇が降り始める時刻だったが、天文台の観台跡に何度も登った。かつて母の手を引いて登った観台跡だが、そこから改めて周囲を遠望し、何が見えるのか再確認した。取材とは言え、また当たり前の行動とは言え、確認できるとやはり感動する。
時折小雨がぱらついたのは難儀だったが、持ってきた傘をさしてしのいだ。
そこから約2kmの距離を歩いて、ホテルへ戻り、ようやくチェックインした(車をとめた時刻はチェエックインには早過ぎたのだ)。
万歩計を持って来て測定したら結構な歩数になっていたろう。疲れてしまい、1時間近く昼寝した。
元気は回復していなかったが、初期の計画では会津料理を楽しむつもりだったので、ホテルから遠くない場所を物色し、小料理屋のような店に行くことにした。メインは蕎麦屋らしいが。お任せのおつまみを頼み、会津の酒を注文した。おつまみの中に、塩辛が出てきた。手作りで、新鮮なのは勿論だが、色合いが母の手作りと同じだった。つまり市販品ではなく、イカだけを使った本物なのである。だから、塩辛とは言え、市販品の塩辛さではない。この母を思い出させてくれた塩辛はありがたく、(純米吟醸とよく合ったのはおまけで)取材する私自身の感度を高めてくれたのである。
11月10日(土)「また来なくっちゃ・・・の楓さん」
ホテルの朝食会場は10階だった。そこから鶴ヶ城がバッチリ遠望できた。約2km離れているので、遠いのだが、その遠さが良かった。高い場所から俯瞰できたのも良かった。城下町若松の全体像が浮かび上がったのと、武家屋敷地から遠い、郭外に住む庶民の感覚が胸に浮かんだのだ。城から離れるほど、あの戦争は他人事になったと思う。そして、迷惑であり、何でもいいから(つまり東西どっちが勝とうが)早く終わってくれと願っていた一般庶民が多かったと思う。
チェックアウトして、鶴ヶ城へフィットで向った。歩けば30分近くかかるところへ、あっという間に着く。
城内の場面は現時点書いていないが、書くべき場面を発見するかもしれず、デジカメでばちばち撮影しながら歩く。途中で雨が降ってきたのには驚いた。今日は晴れてほしいと思っていたのに。風も強いな。
天守閣の内部の展示の中に貴重な情報があった。ところが写真撮影禁止である。しっかり観察して記憶するしかなかった。
売店でまとめて買い物をした。市内を歩きながら少しずつと思っていたが、そんな余裕はなかった。
続いて、会津武家屋敷へ行った。家老の西郷邸が復元されている。これも事前に勉強はしてあったが、やはりリアリティを求める私は、資料から得られない部分に着目しながら見学する。ふり敷いたモミジが印象的な茶室が収穫だった。おまけだが、精米所は技術屋として面白かった。
この近くのレストランで会津料理を楽しむ予定だったが、時間がないので、中止。
次の目的地は飯盛山である。しかし、時間的な余裕がないので、白虎隊記念館だけにすることにした。白虎隊に関しては、鶴ケ城や会津武家屋敷で貴重な資料を見た。もしかするともう一度行くことになるかもしれない。白虎隊記念館には販売資料がおとんどなく、しかも館内は撮影禁止だったので、とても困った。また来ることになるかもしれない(そればっかりだ)。
こうしてタイムリミットの2時半に現地を去ることになった。今回、見学できていない場所がたくさん残ったので、とにかくまた来なければならない。
往路と反対に走って、約束の午後4時にフィットを満タン返却をした。会津から遠ざかるにつれて晴れてきたのは驚いた。福島県は、県の面積が広いだけでなく、東から浜通り、中通り、会津と3つに分けて天気予報をする。それだけ東西で天気に違いが出るのだ。
郡山から、また新幹線を乗り継いで、家路を急いだ。荷物も記憶も随分と増えた。
11月11日(日)「これも日常・・・の風さん」
昨夜帰宅したのは午後11時過ぎだった。乗り継ぎに余裕をもうけたので、現地から8時間半もかかってしまった。もっともキャメロンで帰宅したら、その日のうちに帰宅するのはちょっと難しかったろう(子どもたちが小さい時は、須賀川へ帰省していたので、距離的にはそれほどの無理ではなかったが)。
退院したちび助と再会……したかったが、ソファにもぐり込んでいて会えなかった(笑)。思えば1週間前の土曜日に笠間、佐野から帰宅し、その夜、ちび助が異常となり(死にそうになり)、翌日犬猫病院、さらに翌日アクアのパンクと怒涛の日々だった。
それでも、今朝は普通に起床した。旅行中の早起きが習慣になったらしい。寝室の外にちび助がいて、これも日常だった。日常が一番なのかもしれない。
片付けのほとんどは昨夜終えていたので、午前中はルーチン雑務。日常に戻って来たか。それでも時間はけっこうかかった。
昼食にインスタントラーメンを食べ、帰宅したのをさらに実感した。
それにしても、青空が広がっていて、久しぶりに気分爽快……と思ったのもつかの間、急に疲労感が襲ってきて、2時間ほど昼寝。これも日常か(笑)。
夕方から、最も締め切りが近い連載の仕事に取り掛かった。この作品には重要な要素が二つある。一つは、1週間前に下調べが終わっていた。もう一つの下調べがまだだったので、それを始めたら、また面白くなってはまってしまった。ところが、夕食前に、ある神社の当時の位置が分からず、延々と探索作業が続いた。
結局、午前零時過ぎにやっと「ここだ」というポイントを特定できた。現地へ行けば確実に分かるのだが、書斎で探すのは大変だった。入浴して出た時点で、フラフラだった。これも日常か。
11月12日(月)「日常は多忙・・・の風さん」
日常から早くも脱却して寝坊(笑)。シルバーさんが庭の剪定に来てくれていて、ワイフは外出しているので、起きてすぐお茶出しをした。コーヒーを淹れて出したら、ブラック大好きということだった。初めての人で、これからお世話になりそうだ。
朝食後、ルーチン雑務。昼食は面倒だったので、トースト。
昨日に続いて、連載小説の執筆、と言いたいところだが、また探索作業。今度は、主人公が歩いた街道の特定である。これはかなり困難で、詳細に書くのはやめることにした。
シルバーさんに午後のコーヒー出しをして、ウッドデッキ上のテーブルで一緒に飲んだ。天気は曇りだが、風もなく穏やかで、老人の会話には最適だった(笑)。お代わりも出して、色々と情報交換できた。シルバーさんはお酒とお菓子と野菜は食べないとのこと。
夕方から、色紙を書く準備。10日前の講演後、色紙の記入を求められたが、すぐ対応できる人ではないので、今日までずれ込んでしまった。文句は決めてあったので、PCで見本を決め、スケッチブックにマジックで何度も書いて練習した。そこへワイフが帰宅したので、ちび助を病院へ連れて行くことになった。
入院中の点滴の効果がなくなったらしく、食欲がないので、また点滴をしてもらった。ちび助の保険のことで相談したが、対応には難色を示したので、無理は言わないことにした。それにしても、もう1週間遅ければ、契約した保険が適用できたのに、残念である。
帰宅してすぐ色紙を完成させた。へたくその私としてはベストの色紙ができた。満足。記念の写真も撮っておいた。
夕食後、今月のロード3の予約をネットでおこなった。慎重に作業を進めたので、ロード2の再現に近い内容でも2時間近くかかった。我ながらのろまを実感。
昨日は日常を幸福と書いたが、今日も日常だろう。日常とは忙しいものだ。
11月13日(火)「寒くなって来た・・・の風さん」
今朝もゆっくり起床。朝食後、散歩がてら昨夜用意した色紙を投函しに行った。この道筋では猫と遭遇することが多い。多いときは3匹。今朝は1匹、毛並みの悪い(色彩的に)猫がひなたぼっこしていた。
ルーチン雑務をこなし、連載の仕事の続き。その準備の調査がなかなか終わらない。そうは言っても、調査をしながら、一方で物語(ストーリー)を考えている。そのヒントは、実は日常の中に多い。普通のことを普通のようにやっていることが重要だ。題材は珍しいものでも、結局、そこで動いているのは普通の人間だからだ。
日常と言えば、ちび助の調子はあまり良くない。退院直後は、元通りになりそうな感じだったのだが、その元通りがそもそも普通でなかったのだから。今回の百合の毒は、腎機能に打撃を与えるもので、普通は死んでしまうという。何とか命は助かったが、腎機能はダメージを受けた。ところが、今回の精密検査で、その腎臓そのものが、以前から問題があったことが判明したのだ。
昨年死んだペコにゃんのときもそうだったが、ペットとは言え、家族なので、その家族が元気がないと、こちらも元気をなくす。
午後、元気が出ないので(私が)、また昼寝した。
今日は曇りでお日様が隠れているので寒い。次第に風も出てきた。寒がりのちび助もつらいだろう。そろそろ暖房を考えねば。
月末の講演のことで、先方から電話があった。1週間前にメールを送ってくれたそうだが、調べてみると届いていない。転送の問題ではない。どこにも振り分けもされていなかった。とりあえず電話であれこれ話をし、再度メール交換してみることになった。
準備の調査は深夜まで続いた。時間がかかり過ぎている。
11月14日(水)「明日への期待・・・の風さん」
ワイフを駅まで送るため早起き(普通の人には決して早い時刻ではない)。
朝食後、ルーチン雑務。ちび助はソファの中にもぐりこんだまま。そんな姿を見ていると、私も元気が出ない。
2週間に1度、ヤクルトレディが訪問販売にやって来る。店では売っていない商品とかで、整腸作用を期待して飲んでいる。残念ながら花粉症には効果なし。
キャメロンで外出。JPで葉書を投函した後、UFJで現金をおろした。これはアクアのタイヤ代とちび助の病院の費用だ。事故や病気がないのが最も経済的だが、なかなか思うように行かないのが現実。だから、節約と稼ぐことに力を入れるしかない。しかし、……、年金生活者にはそれがなかなか大変だ。キャメロンのガス欠も近い。
日が差してきたので、ちび助はサンルームのテーブルの上だ。しかし、全く食欲がなさそう。私は卵ご飯で高速ランチ。
連載の執筆で焦ってしようがないのだが、次々に知りたいことが発生する。そうやって調べながら、ふとストーリーのアイデアが浮かんできた。あれこれ悩んでいても仕方ないので、これで行こうと決心する。
夕方になり、洗濯物を取り込んだりしながら、準備開始。ちび助をケージに入れて、アクアに乗せ、駅へ向かった。そこでワイフをピックアップして犬猫病院へ直行するのだ。有料道路を利用しても予約時刻にちょっと間に合わないが。
不思議なことにちび助はドライブは平気らしい。往復ともおとなしくしている。病院では、ペコにゃんは観念しておとなしかったが、ちび助はいやなことをされると唸って抵抗する。今日の血液検査の結果では悪化傾向はなく、まだ望みはあるという感じ。食欲が出る薬と点滴をしてもらって家路についた。明日もまた来なければならない。
遅い夕食になり、今日はもう限界だった。入浴して午前零時前に就寝した。私もちび助も明日へ期待をかける。
11月15日(木)「締め切りに間に合わず・・・の風さん」
いつも通りに起床。ルーチン雑務まではてきぱきとこなした。
私はさあこれから、という感じでスタートだが、ちび助の様子に特に変化はない。点滴を続けても劇的な効果はないようだ。現状を維持しているだけかも。しかし、食べないことには体力が低下して、せっかく維持している状態が回復しない。
ちび助の状態が良くならないので、私の方もイマイチ活が入らない。
そうは言ってもやらねばならない。
ストーリーは決まったので、全体構成も明確になってきた。毎日続けてきた調査で、データもそろってきた。振り返って見ると、大変な場面に遭遇していた。連載は実話がベースである。今さら和算の知識を新たに仕入れる必要はほとんどない。新たに得なければならない知識は、主人公が歩いている道筋である。どこの土地にしても、私が熟知しているわけではないので、調べることになる。それが今回は簡単ではなかった。
つい過去形で書いてしまったが、まだまだ情報は不足している。物語に必要な情報を得る作業は今日も続いた。
私は昼食をちゃんと摂ったが、ちび助はサンルームでじっとしている。これではいけない。
夕方になり、また犬猫病院へ連れて行く時刻になった。往復含めて3時間近くが使われる。
主治医に食欲が出ないことを話し、かつてペコにゃんのためのもらったことがある子猫用ミルクと呼ばれる流動食を試しにもらうことにした。今日も点滴をし、もしかすると食欲の障害になっているかもしれない吐き気止めも注射してもらった。
夕食後、また書斎にこもった。当初、今日15日を原稿の締め切りに設定してあったが、とても無理になった。そこで、可能な限りの調査は終えておき、その後、関係者にメールすることにした。
結局、就寝は未明の午前4時半ころになってしまった。
11月16日(金)「頑張れちび助・・・の風さん」
午前11時頃やっと起床。スイッチを切り替えて頑張らねば。
アクアの満タン給油に出かけた。ついでに自動洗車もして、真っ直ぐ帰宅。
トーストでブランチ後、ルーチン雑務をさくっと終了。階下へ降りてちび助の状況をワイフと話し合った。あまり変化はない。子猫用ミルクを少しだけ飲ませた。続けて、簡単に風呂掃除。
書斎に入って、来週の名商大キャリアデザイン講義の準備を開始した。昨年とやり方を変更しなければならないので、もう一度、頭の切り替えからだ。事務局の指示を再読し、昨年用意した資料を比較すると、かなり変更しなければならないような気になって、少し落ち込んだ。とは言え、あまり時間をかけてはいられない……といつも思うのだが、凝り性だからきっとまたのめり込むだろうなあ(笑)。
長女が名古屋から帰省してきた。ちび助の様子を見るのが主な目的だ。本当なら少し実家で休みたいところだろう。来月の結婚へ向けて忙しく働いているから。
今日も犬猫病院へ行った。長女も一緒なので、私は気が楽。主治医に様子を話すと、今日は超音波で診てみましょうということになり、診察してくれたが、最初の状況から特に悪化していることもなかった。とにかく、食欲不振は不思議だ。今日も、点滴と食欲増進剤を注入してもらった。
帰宅したが、大きな変化はなく、ただトイレで柔らかいウンチをした。また、子猫用ミルクを少し飲ませ、3人で近くの中華レストランに遅い晩御飯を食べに行った。実に久しぶり。
帰宅したが、ちび助はソファにもぐり込んで寝ている。3人ともまたすっかり疲れてしまった。
先週、東北新幹線に乗った時に入手した、無料の車内誌を開いてみた。気になる特集があったからだ。やはり気にしてもらって来てよかった。昨日まで書いていた連載と、奮闘中の長編の両方に関係する記事で、執筆のモチベーションが高まった。問題認識が無意識の底に沈殿していても、有用な情報はしっかりキャッチできる。大学の教養部で受けた心理学の講義がベースで、その後の40年以上の人生で実感となっていることだ。
11月17日(土)「ちび助に回復の兆し・・・の風さん」
ちび助が少しずつ食べ始めた。ミルクもいやがらない。仏壇の水も少し飲む。回復の兆しを感じる。
キャリアデザイン講義の準備の続きをやり、ランチ後、3人で犬猫病院へ向かった。明るいうちのドライブのせいか、ちび助が窓外の風景を楽しんでいるらしい。ドライブに抵抗がないのが、本当に助かる。ペコにゃんの時は鳴きっぱなしで、病院へ着いても、アクアから降りるまで鳴いていた。
回復の兆しの話をし、今日は点滴だけにしてもらい(次回は明後日)、真っ直ぐ帰宅した。すると、ちび助がまた少し食べた。
3人で、長女の買ってきたワイフのバースデーケーキを食べたが、ちび助が元気になってきたので、味も格別、気分も上々。
私は書斎へこもり、講義の準備の続き。
夕食は豚しゃぶ鍋になった。
その後、長女を名古屋まで送った。
11時前に帰宅し、ちび助にミルクをやり、講義の準備の続きをした。午前1時半ころ、ほぼ完了した。ホッとした。
11月18日(日)「ちび助はほぼ回復・・・の風さん」
しっかり寝坊……したと思ったら、それほどでもなかった。
普通に朝食を摂り、朝のツムツム……と思ったら、今日はハート不要で無制限だと! そうか。今日はミッキーの誕生日だった(笑)。運営も粋なことをやるじゃん。急に老骨に気合が入った。
とは言え、先ずはルーチン雑務。こちらはいつも通りにちゃちゃっと終了。スパートするのは12月に入ってからだ。
昨日に続いて、講義資料の作成。今日は仕上げだ。細部を修正して、USBへ入れた。明日、MacBookAirでチェックしよう。
卵かけご飯の高速ランチ後、今度は、来週末の講演の準備だ。こちらは、データはあるものの、初めての構成になる。
先ずは、依頼メールの内容確認。講演時間は記憶通りに90分間だった。
そのあたりから急に眠くなってきたのはなぜか分からない。書斎で座ったままうつらうつら。首が痛くなってきた。
コーヒータイムにして、インスタントを飲みながら、ツムツムをやり、ロキソニンのジェネリックを服用しておく。
午前中晴れていたのが、曇り空になってきた。ワイフがログからやって来て、墓参の提案。日が短いので、今日は早めに行くことになった。
墓地には先客が一組いたが、風もなく、寒くもなく、墓参には最適な日だった。日暮れ前に来て良かった。
ルーチン雑務のようにちゃちゃっとできるのは、近所にお墓があるからだ。寿陵(生前に墓)を作った父と、ここを紹介してくれた友人に感謝。
帰宅してワイフとホットタイム。その後、またツムツム。
講演資料作成のため、拙著『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』を再読する。講演に使えるというか使うべき部分をリストアップしていく。それにしてもよくできた本だ(笑)。生産現場に対する愛情にあふれている。この本を読んでの講演依頼がいくつか来ている理由が分かる気がする。やはり出して良かった。会社の先輩や出版社に感謝。
夕食後も、拙著のチェックをやり、再びツムツム。午前零時が無料のタイムリミットだった。
今日は何も書かなかったことでも想像できるだろうが、ちび助がほぼ元の状態になってきた。最後のチェックポイントは、正常なウンチが出るかだけになった。
11月19日(月)「講演準備が本格化・・・の風さん」
今日はしっかり寝坊。カーテンを開けると曇り空。午後から晴れるかなあ。
ルーチン雑務を終え、ワイフのアクアを借りて外出した。キャメロンがガス欠にやや近いので(笑)。
久しぶりにホームセンターで家の物を購入。ドラッグストアに寄って、同じく家の物を購入。最後はJA。これが今日の主目的だ。先日のシルバーさんの支払いを振り込み、明日以降必要になる必要経費を、項目ごと、3回に分けて引き出した。これらはすべて通帳に鉛筆で引き出し目的を書き込んでおくのだ。定年後に、家計のやりくりをすることになるとは思ってもいなかった。けど、仕方ない。家計の責任は今や私にある。
昼食はインスタントの台湾ラーメン。インスタントとは言え、種類は豊富だ。今日のは初めてだな。食べてみたら、辛いこと辛いこと。具がほとんど入っていないだけで、辛さは本物に近い。
今日の仕事は講演資料の作成だけにすることにして、いよいよパワーポイントを立ち上げたが、やはり全体構成が大事と思い直して、帳面にポイントを書き出す。導入部が何といっても難しい。今回の講演は、品質管理の話をするのだが、聴講者はモノづくり企業の人たちが中心ではないからだ。異業種の仕事から自分たちの仕事へのヒントや気付きをいかにして提供できるか。それが私のチャレンジだ。
夕方のホットタイム後、ワイフとちび助を犬猫病院へ連れて行った。食欲が出てきた話をしたら、主治医も驚いていた。今後は、経過観察も必要だが、食生活が重要だと思うので、キャットフードについてアドバイスをしてもらった。次回は1週間後である。
夕食後は講演の準備の続き。効率も能率も悪いので、終日仕事をしている、と言うか、終わりがない。
11月20日(火)「1日頑張ってガックリ・・・の風さん」
いつもより早起きして、ワイフを駅まで送り、帰りにゴミ出しをし、久しぶりに hairdye に取り掛かった。この作業は寒くなるとつらい。書斎の暖房を入れて、合間にルーチン雑務をする。
シャワーで流し終わったころにはルーチン雑務も終わっているので、コーヒータイムだ。ツムツムで新ツムのゲットを狙ったが、1個しか入手できず(笑)。
続いて、来週の講演準備の続き。仮のタイトルを決め、難しいイントロを作り始めた。
昼食は大好物のインスタントラーメンで、ちび助がすっかり元気になっているので、こちらもパワーをもらえる。
ところが、食後の魔の時がやって来た。早起きしたので、通常より寝不足である。書斎でうつらうつら、約1時間。
コーヒータイムにして、再び気を取り直して講演の準備。スライドができていくうちに、とても講演時間でやりきれそうになくなってきた。そうだ。終日セミナーではないのである。
夕方ワイフが帰って来たので、駅まで迎えに行った。しかし、既にあたりは真っ暗。そろそろ冬至も近い。老人には暗い季節だ。
食後は、明日の講義の最終準備をした。講演スライドの最終チェックをした後、いちおうスライドを6イン1で印刷した。その間に何と、名刺が不足していることに気付き、続けて追加印刷を始めたのだが、プリンタートラブルが連発。再起動を繰り返しているうちに、捨て打ちのため残量少のインクカートリッジが2本なくなって交換した。
今日も、効率も能率も上がらない日を過ごしたことに、ガックリ。ついでに、最近話題の某会長が50億円の所得を隠していた件で、簡単な計算をしてみた。明日は、2コマ相当の講義を名商大でおこなうのだが、その報酬を毎日もらえるとして、50億円に達するまでどれだけかかるかという算数の問題だ。456年かかる計算結果になり、またガックリ。
11月21日(水)「キャリアデザイン講義・・・の風さん」
今朝もワイフを駅まで送った後、急いで雑務をおこなった。ルーチンは当然のこと、必要があって物置の整理までした。
それからキャメロンで出発。途中駅に駐車して電車で名古屋へ。ドトールでサンドのランチを食べ、地下鉄で思い出のビジネススクールへ。2年間、土日に通ったキャンパスだ。五十代最後の2年間で、体力的にきつかったが、会社では経験できないビジネスの世界を勉強することができた。今日は、昨年に続いて、そこで学部生にキャリアデザイン講義をするのである。
ビジネススクールに準じた講義内容と、就職へ向けて悩んでいる学生へ、何らかの示唆を与える先輩講話で構成した。基本的に講師から質問を投げかけ、学生に回答させる形で進めた。ビジネススクールと同様に、積極的な学生とそうでない学生にはっきりと分かれる。積極的な学生はビジネスにおいても自律した行動がとれるし、自立する者も出てくる。先輩講話に対する反応がよかったな。何しろ、サラリーマンの途中でプロ作家デビューできたら、会社をやめますか? という質問だったから(笑)。
3時間以上立ちっぱなしで少々疲れた。
講義後、東急ハンズで2019年のダイアリー(内容物だけ)を買い、途中でワイフと合流して家路についた。
キャメロンがガス欠寸前だったので、少しだけ補給して帰宅した。長時間留守番のちび助は元気いっぱいだった。
夕食後、来週の講演準備の続きをやり、早めに就寝した。
11月22日(木)「2年ぶりの人間ドック・・・の風さん」
今日は2年ぶりの人間ドックである。昨夜から絶食状態で、今朝少し空腹を感じるのは、最近、食事量が多めだからだろう。
2年前と同じように小雨が降る中、近くの健診センターへ向かった。
2度目ということもあるが、どんどん検査が進んでいく感じ。あっという間に(と言っても1時間以上経過している)、医師の診察になった。血液、尿、便潜血などの結果ももう出ていて、全く問題なし。血圧も動脈硬化も超音波も正常ということで、医師も驚いていたが、私も驚いたよ(笑)。これじゃあ、普段、超健康的な生活を送っているみたいじゃないか。本当は病気のデパートのはずだし、生活は不規則だ。
最後に脳ドックとなった。MRIである。こちらはもしかするとヤバイ結果になるかもしれないが、こんなに弱い頭を毎日駆使していてもボケが進んでいくのなら、もう諦めるしかない。とは言え、結果はまだ先だ。その前に、やれるだけのことをやっておこう。
2年前と同様に、隣のレストランで鍋焼きうどんをいただいた。雨も上がっていて、気分も上々だったので、今回も美味だった。
昼前に帰宅できた。3時に文章サークルの仲間が遊びに来るので、それまでにルーチン雑務を終えておかねばならない。ワイフは、家じゅうの掃除をしていて、おもてなしの態勢に入っていた。
しかし、その後、事態は急展開。私は疲労が出てうつらうつら。昨日から頑張っておもてなしの準備をしてくれていたワイフは、予定を変更して外出してしまった。
結局、サークルの仲間のおもてなしは、ワイフが完璧に準備してくれたものを利用して私がすることになった。
約2時間の貴重な情報交換をすることができ、有意義だった。その後、後片付けはしっかりやった。
寒がりのちび助のために発注した猫用寝袋が届いたので、早速開梱し、ちび助を入れてみた。ペット用のホットカーペットの上に置いたので、狙い通りに暖かな空間ができたが、あまり長時間入っていないし、自分から入ることはなかった。これからもっと寒くなればきっともぐり込むと思うが。
来週の講演用スライドがだいたいそろった。まだしっくりこないので、明日に期待をかける。しかし、こればかりをやっているわけにはいかない。明日は、少なくとも3つの仕事をやろう。
11月23日(金)「講演スライドが完成寸前・・・の風さん」
徐々に天気は好くなってきたが、まだ風が強い。屋外作業をやっている余裕はほとんどないけれど、天気は気になる。
ルーチン雑務をこなし(今日は思い切って捨てる物が出た)、キャメロンで外出。GSへ直行し、満タン給油と同時に、今シーズン最初の灯油購入をした。灯油価格もけっこう高いので、エアコンとどっちが得か分からなくなってきている。灯油は物置にしまっておいた。
水曜日の講義の成績記入表が送られてきたので、忘れないうちにと、先ず、授業態度(発言のこと)の評価をしておいた。レポートの評価は恐らく時間がかかるので、明日以降だ。
昼食が何とおはぎになった。日めくり猫カレンダーを愛用しているが、大事なペットに食べ物の名前をつけている人は多いことが分かった。和洋様々です。しかし、さすがにまだおはぎちゃんには出会っていないな。でも、いそうではある。
さて、来週の講演用スライドを完成させねば、と覚悟を決めて続きを再開。
目標は晩ご飯前だったが、できなかった。あとひと息というか、やっと調子が出てきたので、また夕食後も継続。毎日残業しているような感じだな。
今日は意地になって頑張ったので、終了は午前1時半を過ぎていた。何とかカッコがついた。これを元に配布用のテキストを作らねばならない。こうなったら、勢いなので、明日、仕上げてしまおうと思う。
11月24日(土)「電気あんか・・・の風さん」
昨夜の就寝が遅かったので寝坊しようと思っていたのに、寒くて目が覚めた(笑)。ちび助は寝室の外で爪かきするし……。
ルーチン雑務を終えて、裏の物置へ出動した。今後の長女の部屋の整理計画のために、物置の整理は必要条件だ。次女の私物の整理も次の懸案だけれど、その前にやっておかねば。今日は、茶箱一つを空にして、来月茶箱を捨てる準備をするのが目的だ。茶箱1個分のスペースが必要なのだ。数日前に準備をした時、ゴキの死骸を2匹外へ捨てたが、今日は1匹も発見しなかった。ゴキが死んでいたのは、ホウ酸団子のお蔭に違いなく、来年の楽しみができた。
来週の講演のテキスト作成に取り組んだ。これは思っていた通りに作業が進んだ。幸いデータも重くなく、明日で完成させて送付できそうだ。
ここまで直近の作業が進んだので、しばらくぶりに連載短編に取り掛かった。これも頭の中であれこれと考えていたので、最後の調査事項にすぐ着手した。ところが、連載の前回まで使っていた資料をどこへしまったのか見つからず、ちょっと困った。狭い書斎なのに、書籍や資料がぎっしりなので、ボケ老人の記憶は全く当てにならない。でも、見つかったので、それを開いてみたら、すごい発見が続いた。その勢いで執筆を開始することができた。
昔何度か長谷川伸先生のお宅(もちろん先生はもういらしゃらない)の書庫を見学したことがある。資料を借りたこともある。数万冊の書棚の中に、地方史に関する書籍や資料が多かったのを不思議に思っていたが、今の私には、それが歴史小説執筆においてとても重要な参考資料だということがようやく分かった。長谷川伸先生の偉大さを痛感する。
さすがに寝不足と疲労で、就寝前の執筆は困難だった。そこで、名商大の講義のレポートの採点をすることにした。創造的な仕事と知識と経験に基づく仕事の違いだ。しかし、人数が人数なので、時間がかかることは仕方ない。
作業が終わったのは、また午前1時半過ぎになってしまった。
今夜は、電気あんかを用意してベッドに入った。子どものころの湯たんぽが懐かしい。
11月25日(日)「仕事が着々・・・の風さん」
電気あんかのお蔭で、たっぷり寝坊した(笑)。天気も好く、風もあまりなさそうで、気分は上々。
実はベッドから出る直前に腹筋運動をすることにしている。寝ながらできるので楽という意味もあるが、私の肉体には最低限の腹筋が必要だと思っているからだ。人それぞれ個性があるけれど、私の場合、腹筋を中心にして、全身のバランスが形成されている(と勝手に思っている)。
ブランチ後、風呂掃除をした。今回は、ユニットバスを分解しての徹底掃除である。以前に比べて、だいぶ体も動くようになってきた。あと、この超多忙から脱出して、筋トレを復活させることができれば、さらに健康……というより、効率的・能率的生活が送れる気がする。
風呂掃除後に血圧を測ってみたら正常値だった。体を動かすことは重要だ。
昨夜の続きで、講義のレポートの採点結果を、点数表(Excel)に書き込み、総合点のために発言点の調整をした。ビジネススクールの講義と似た講義だったので、どうしても発言点のウェイトが重い。
この調整を終えてから、事務局へ返送する準備をした。意外と時間がかかったが、これでほぼ仕事は終了となる。
続いて、今週の講演の時に配布してもらう資料のデータの最終チェックをし、事務局へ送る準備をした。
ここまでで精神的にとても落ち着いてきた。連載短編に集中できる下地がかなり整ったからだ。
その後、短編の執筆が順調に進み、就寝前の最後の仕事は、配布資料データのメール送付だった。
それでも、就寝はまた午前2時を過ぎてしまった。電気あんかをセットして、明朝も寝坊だろう(笑)。
11月26日(月)「良かった良かった・・・の風さん」
今朝も寝坊。朝食後、歩いて郵便物を投函しに行った。曇りだが風もなく穏やかな陽気だった。しかし、いつも遭遇する猫はいなかった。
体を動かした後なので、血圧も低い。
ルーチン雑務をこなし、名商大にメールで成績表を送り投函を伝えた。これで講義の仕事は完全に終了。
ホットタイム後、連載短編の続き。とりあえず今日は最後まで行かねば。
あと、水曜日からのロード3(今月3回目の旅)の準備も始めた。愛用のキャリーバッグを引っ張り出して、持って行くモノを放り込んでいくのだ。
午後のホットタイムのときに、遅いランチにした。納豆ご飯(笑)。
執筆に拍車がかかっている時に、ワイフが帰宅し、すぐちび助を犬猫病院へ連れて行った。一週間ぶりだ。
体重も増えていて、順調に回復していることが分かった。良かった良かった。次回は二週間後の予約をした。最近仕事が進んでいるのは、ちび助の回復が大きい。もっとたくさん食べてさらに元気になってほしい。
帰宅してすぐ執筆に復帰し、夕食後も執筆の続きをやった。
途中で岩崎書店からメールがあり、千葉県の課題図書になっていた『ひらけ蘭学のとびら』の感想文を書いた子が最優秀賞になったとのことだった。これは嬉しいニュースだ。全力で書いた作品なのはいつものことだが、自分としても成長を感じた作品だったので、こういう形でフィードバックがあると、喜びは倍増する。いや〜良かった良かった。
午前1時過ぎ、とりあえず最後まで短編を書いた。明日リファインして第一稿として提出できる。こちらも、いや〜良かった良かった。
11月27日(火)「出発直前の達成感・・・の風さん」
ロード3出発の前日だが、まだ短編ができていない。
こういう時は焦らずに、着々と(つまり粘り強く)全身を動かし続けることだ。そうすれば、必ず、ゴールに到達できる。
朝の柔軟体操からしっかりスタートし、ルーチン雑務もこなし、続いて最優先の明日の講演の準備を先に完了させた。
旅行の準備はたくさんあるが、書斎から出るたびに、一つずつやることにした。ミニキャリーバッグを開けておき、少しずつ荷物を詰め込むのだ。
そうして、昼食のインスタント担々麺を食べ、執筆再開前に、勇気を出して、読みかけの小説を読了させた。約1時間かかったが、執筆のモチベーションが高まったので、これは成功だった。なお、読了としては今年35冊目である。相変わらず、年末が近づくほど読了ペースは落ちている。
その後、執筆は立ち止まることなく進んだ。これはとても良いことだが、晩御飯前までに完了させることはできなかった。結構いいペースだったのだが。これが今の私の最速かもしれない。
いつも晩御飯の後、ダラダラしているのだが、今晩はすぐ書斎に戻り、執筆の続きをやり、1時間で第1稿が完成した。まずまずの出来だったので、すぐメールで関係者に送りつつ、ロード3から帰宅したら第2稿を送る約束もした。日曜日はこれで予定が詰まったということ。
急いで入浴し、チビ助の爪も切ってやり、スコッチをちょっと飲んで、午前零時に就寝した。いつもより早いので、スコッチを飲んだのだ。久しぶりに達成感を味わった。スコッチの酔いもあり、スムーズに眠れた。成功。
明日は宮城県の女川原発で講演である。
11月28日(水)「難しい講演だった・・・の風さん」
目覚ましで、午前5時半に起床した。外はまだ真っ暗だった。
いつものように朝のお勤めを……と思ったが、いくつか手を抜きながらこなした。
午前6時半過ぎにアクアで出発。セントレアからはワイフが運転して戻るといういつものパターンだ。
航空会社に荷物は預けないので、チケットレスで、いきなり手荷物検査所へ行った。ここで引っかからないようにするのは慣れている。出来るだけオープンにするのである。
出発ゲートはいつもの離れた所だった。ANAのプロペラ機はいつもここだな。余裕綽々でそこに着き、缶コーヒーを飲みながら、iPhoneの電源OFF前にツムツムをやった。ところが、異常なほどバッテリが消耗した。どうやら電池が寿命らしい。そろそろ機種交換する必要があるかも。
久しぶりに仙台便に搭乗したのだが、天気が良くて、山梨県側から富士山がきれいに見えた。デジカメで写真を撮った。これは得した気分。
着陸態勢になってから、耳が痛くなった。体調は完璧ではなさそうだ。
仙台に着くと、予想より多い3人の方が迎えてくれた。1人は、これまで受け入れ窓口をしてくださった方だが、あと2人は、何と大学と高校の同窓生(むろん後輩)だった。この暖かな配慮には感激した。
女川原発まで車で送ってもらったのだが、かなり遠く感じた。途中で早めのランチをした。震災復興の象徴的な施設「シ―パルピア女川」である。温泉のある駅や、トレーラーのホテルも面白かった。
いよいよ原発。原発の敷地内に入るためには、徹底したセキュリティチェックがあり、テロ対策なのだが、とても安心感があった。これだけ厳しければ、テロリストも面倒臭くて女川原発はターゲットから外すだろう。2年後の東京オリンピックでここまでできるはずがないから、とても観戦に行く気はしない。怖い。どうせお金もないから、行かない。
今日は、講演前の現地見学をお願いしてあった。停止させて震災対策などの改造工事や保守・点検中の2号炉をリアクターや水中に沈めた燃料棒、集中制御室などを見せてもらった(1号炉は廃炉が最近決まった)。万が一の汚染物質の飛散を防ぐため、内部は若干負圧にしてあるのだそうだ。もちろんこういった区域に入るためには、さらに厳しいセキュリティチェックと、放射線記録計の装着が必要だった。服装もそれなりに着替えた。靴下も履き替えた。これも万が一汚染した靴下で外部へ出ないためである。
講演は品質管理の話だが、実際に現場でなされていることは、まさに工事現場の仕事であり、モノづくりとはかけ離れていた。自分の講演が聴講者にとって役に立たない恐れが高いことを感じたことは、講演前の浮かれた気分を引き締める良い効果があった。しかし、アドリブで内容を変更することは無理で、良いアイデアも浮かばなかった。それがつらかった。
実際、90分間、精一杯講演をおこなった。しかし、モノづくりをベースにした品質管理の話を、工事作業者や監督者にするのは本当に難しいと思った。
仙台に戻り、ホテルのレストランで懇親会をしてもらった。大学院時代の研究室の1年後輩、彼が今回の講演の仕掛け人なのだが、彼も参加して、同窓会のようだった。とても楽しい時間を過ごしたが、部屋に入った時、激しく疲労していることを感じた。それと、即席のアイデアすら湧かず、期待に十分応えられなかったという慚愧の念があった。
もうこうなったら、休む(寝て忘れる)しかないと、午前零時にベッドに倒れ込んだ。
11月29日(木)「現地取材の価値・・・の風さん」
今日はてんこ盛りの予定を組んでいるので、自宅のように寝坊しているわけにはいかなかった。
急いでホテルの朝食を摂りに行ったら、お洒落なレストランが会場で、ゆっくりしたくなった(笑)。仙台駅に近いホテルなので、朝の出勤風景というか、駅から街の中へ向かう人たちの流れを眺めながら、洋食を中心にした料理を食べた。一つの会社で長く勤め、年金生活に入ると、何となく現実の世界から自分が弾き出されたような感覚を持ってしまう。実際は、まだ会社生活の延長みたいな仕事もしているし、作家としての活動も忙しいのだが。
チェックアウトして駅へ行き、お土産を買ってから、新幹線の指定券を自動機で購入した。
予定より15分くらい早く郡山駅に着いた。タリーズで苦いコーヒー(フレンチ)を飲みながらMacBook Airを立ち上げ、今日の最初の取材先の情報を入手し、訪ねる順番を決めた。こういった芸当ができるということは、元気があるということだ。
前回と同様に駅レンタカーを借りて出発。先ずは、二本松市である。
鬼婆伝説で有名な安達ヶ原へ行き、観世寺(かんぜじ)と黒塚を見学。お寺の方からも話を少し聞いた。その結果で、小説の中ではフィクションに徹底する覚悟を決めた。
コンビニでパンなど(ファイト〜一発ドリンクも)を買ってランチにしつつ、二本松市歴史資料館へ。ここで二本松藩の予備調査をし、石垣だけ復元した二本松城へ向かった。
こんなに高い山の上にあるとは来るまで想像もしていなかった。やはり現地取材は重要である。平日でほとんど訪問者がいなかったので、すれ違いが困難な狭い道を車で登って、本丸に近い駐車場まで行った。天気も良く、急いでてっぺんまで登り、周囲を眺めてきた。取材は平日がいいな。足腰もしっかりしていて、元気な自分が不思議。
予定時刻より30分遅い2時半に出発し、喜多方市へ向かった。
先日、参加できなかったのだが、今日、やっと佐藤銀十郎(小栗上野介の家来)の墓参ができた。昔の熊倉宿の街道を抜けた田んぼの中に墓があった。作品の中で銀十郎をどう描くか決まった。これも現地取材の収穫である。銀十郎に感謝である(墓参したことを後で、東善寺の村上住職へメールしたら、銀十郎も喜んでいたと思いますよ、と返信があった。ITの時代。こういった光速でのやり取りは便利で楽しい)。
日が沈む中、半月ぶりの会津若松市へ向かった。気持ちは徐々に幕末の若松城下へ吸い込まれていく。
ホテルにチェックインし、早めに夕食を摂りに行った。今夜は、ホテル近くの釜飯の店に行った。
冷えてきた空気を感じながらホテルに戻り、入浴剤を入れたバスタブに浸かって明日の作戦を考えた。
11月30日(金)「収穫の多い取材・・・の風さん」
さあ、今日も取材スケジュールはぎっしりだ。頑張るぞ、と起きて外を見たら、地面が濡れている。やばい、雨か。しかし、今は降っていないようだ。
しっかり和食中心の朝食を摂り(地元の納豆が美味かった)、チェックアウトして出発。
巡回する場合最も効率が良さそうなルートをとることにした。最初の目的地は、小田山公園である。西軍がアームストロング砲を設置して、鶴ヶ城を砲撃した場所を確認したかった。さらに小田山は会津藩士の共同墓地になっているので、どんなところなのかも見ておきたかった。
今回のレンタカーのナビは、目的地を名前で入力してもさっぱりヒットしないので、近くの著名な場所から、地図を動かして、目的地を設定する方法をとった。実際に行ってみたら、すごい田舎風景のパーキングに着いた。昨日の二本松城と同様に、途中は車ですれ違うのが困難だった。さらに、小田山へは車では入っていけないらしく、徒歩で登ることにしたが、いきなり「熊出没注意」の看板が・・・。注意ったって、本当に出たらどうしようもない気がする。とは言え、辺りに注意しながら登っていく。
目的地にたどり着き、斜面を下りて、鶴ヶ城がどのように見えるのか、確認した。信じられないくらい遠いのだが、アームストロング砲の射程距離なのだという。ただし、放物線を描いて飛ばすはずなので、なかなか命中しなかったのではないかと思う。実際は、1日に千発以上撃ったそうだから、太平洋戦争時の日本とアメリカみたいに、物量で圧倒したということだろう。
せっかくなので、頂上まで登った。田中玄宰(はるなか)の墓があった。会津の名家老である。日新館を作った人。また、そこは小田山城址とのこと。往復1時間、ほとんど休みなく歩いたが、平気だった。我ながらタフだな、と思った。ちょっと寒かったけど。紅葉は前回よりさらに進んで落ち葉が多かった。砂利道に落葉がかぶっていて、革靴でも歩けた。
次は、市内七日町にある会津新選組記念館へ行った。駐車スペースが3台分あるらしく、期待して行ったら、1台分空いていた。ここは、ネットで見ると、子供騙しの店がついでに展示をしている印象だったが、行ってびっくりした。貴重な資料がてんこ盛りで、おまけに写真撮影OKとのことだった。説明文も正確というか、店の主張(愛情)が感じられ、とても共感できた。電池がなくなるほど写真を撮った。子供騙しの店の方にも、貴重な古本があって、思わず購入してしまった。ついでに自分のお土産も(笑)。
ここまでで非常に収穫があったので、というか、体力とお金を使ってしまったので、昼食はコンビニのパンとコーヒーにすることにした。ファイト〜1発ドリンクも買って飲んだ。
3カ所目は、福島県立博物館である。ここも、ネットで事前にチェックしておいたので、短時間で、常設展の近世コーナーだけを見学した。警備員に写真撮影はダメですよね? と聞いたら、フラッシュをたかなければOKとのことで、嬉しくなってたくさん写真を撮った。帰りにミュージアムショップで、また本を買ってしまった。困った性格。
最後は、飯盛山だ。前回は、麓の白虎隊記念館を見学する時間しかなかったので、今日は、頂上まで登り自刃(じじん)の場所から鶴ヶ城がどう見えるか確認するのが目的だ。体力の消耗を防ぐため、動く歩道(登り)を使った。それは良かったのだが、自刃の場所から鶴ヶ城が見えなかった。白虎隊員の像があって、鶴ヶ城の方を深刻な表情で見ているのだが、私にはその方向にお城が見えなかった。万歩計も忘れたが、オペラグラスが必要だった。下山は徒歩で、途中にさざえ堂という面白い建築物があったが、見学は有料だったので、パスした。それよりも、白虎隊員がくぐってきた洞門があり、ものすごい流量で水が流れていたので、胸がつまった。こんな洞門をやっと抜けて、お城が見えるところにたどり着いたら、噴煙が上がっていて、落城したと思い、もはやこれまでと自刃してしまった若さが悲しい。実際はお城は燃えてはいなかったのだが。
帰りに、白虎隊伝承史学館を見学した。見たことのある資料が多かったが、私には会津藩士の屋敷内で使っていた日用道具類が、印象的だった。何しろ本物だから。これらは、会津戦争さえなければ、こうして悲しい展示にはなっていない。斗南藩という本州の果てに追いやられた藩士家族が、持って行けない荷物ということで、売り払ってわずかな金銭に代えた品物が多いのだ。会津戦争は150年前の本当の出来事だ。屋外は寒く、あちこちで石油ストーブを焚いていた。悲しい展示を見ると、ストーブがあっても心が冷える。
今日の取材はここまでで、ナビに駅レンタカーの営業所をセットして出発した。前回と同じコースだ。ただ、磐越道に入ったら雨が降ってきた。そして、どんどん日が暮れて行った。会津若松から遠ざかるのが寂しかった。
郡山インターを降りて、前回と同じGSでセルフ満タン給油し、レンタカーを無事返却した。昔の作家であれば、タクシーを雇って取材したようなものだ。レンタカーとナビは便利だ。
前回のホテルは満室で、今回は駅の東口にあるホテルを予約してあった。寂しい駅裏という感じだった。夕食は、ちょっと歩いてファミレスへ行った。ワインを飲んで酔っ払った。
2018年12月はここ
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